猫好き・海好きの人間が、のんびりと人生の荒波に揉まれながら人形を作って行く過程を曝け出したブログです(笑)まだまだぺ~ぺ~の海人ですが、いつかはという海よりも大きな野望を抱きつつ、日々制作に励んでます。
2011年03月30日 (水) | 編集 |
11日午後に発生した巨大地震。

宮城県南部、福島との県境に位置する山間の町で
被災しました。

今、初めて気象庁のサイトで
あの日の震度確認しました。

震度6弱。

揺れの中、何も出来ずに
ご近所の方と震えるしかなかった。

家の中はめちゃくちゃ。

近所の方が、6メートルの津波が来たと教えてくださったとき
一番に浮かんだのは、旦那でした。

海沿いの町に職場があったので、6メーターと聞いた時
不安で不安で仕方なかった。

亘理町で仕事をしていたので、本当に不安でたまらなかった。

揺れが収まりつつあったので、猫たちをキャリーにと思って
探しましたが、出て来てくれない。
探している間も余震が続き、家と外を行ったり来たり。
30分か1時間か・・・わかりませんが、ようやく芋とあずきの姿を見つけて
キャリーへ。
揺れが続く中、雨も振り出し、玄関先で立っているしかなかった。
家そのものは無事なのですが、中は見れたものじゃなかった。

夕方、4時前に旦那の車を見た時は、ほっとしました。

よかった。

本当にその言葉しか出てこなかった。
電気も止まり、水も止まり
情報なんて何一つ手に入らない。
携帯だって駄目。

旦那の実家が近所なので、安否の確認に車で向かいました。

道路はめちゃくちゃ。地割れ、隆起、陥没、液状化、倒れかけたブロック塀、斜めになった電柱
動かない信号機、1メーター以上も飛び出たマンホール・・・・。

自分の地域で、この有様・・・。
津波の話を聞いて、震源が海だと分かっていたので
私が生まれた塩竈や育った仙台は・・・・。

義理の両親は無事でした。
怪我も無く。でも、旦那の実家の周辺は、傾いた家や斜面のひび割れ等があって・・・。

震災の状況を知ったのは三日目。
市役所のロビーで、自家発電で映っていたテレビでした。

私が遊んでいた荒浜や見慣れたはずの町の景色は・・・無かった。
蒲生の方も・・。
仙台空港も・・。
映らないのではなく・・映せないんだと知った。

ロビーで、震えながら見ていた時
市役所のお偉いさんは・・・ソファーでふんぞり返って座ってるだけでしたよ・・・。

怒りにも、悲しみにも似た感情のまま
壊れた道路を歩いて自宅に戻りました。

そう、自宅に戻れるだけでも私は幸せでした。

津波で流された人たち、ずぶぬれになりながらも一命を取り留めビルなどの屋上に避難した人たち
暗く寒い避難所で過ごしている人たち、避難所にも入れず倒壊しかけている自宅にいる人たち
携帯のラジオから聞こえてくる声が、何もかも頼りで。
揺れるたびに、旦那にしがみついていました。
それしか出来ない。

次の日も情報を求めて市役所へ。
情報が何も来ない。ましてや水の情報も何も。
義理の母から、何処何処で給水しているからって聞いて
初めて知った。
駅の向こう、お城寄りばかりに情報が集まって
駅の反対側には、広報車ですら来ない。

見捨てられた気分でした。

それでも、自分はまだ・・と我慢です。
我慢しか出来ない。

仙台に住む知り合いの安否も分からない、塩竈も、東松島も・・・・。
悲惨な状況しか、情報が入ってこない。


少しずつ、周りでライフラインが回復し
テレビから情報を得られるようになって、買い物も少しずつ不便さを感じながらも出来るようになって
安否も確認できて・・・。

余震以上に・・・原発の恐怖が出て来て・・・。

それでも、前に進むしかないって。






昨日、ルミナリエの写真をテレビで見ました。

仙台にも、年末に行われる光のページェントがあります。

昔は、たくさんの街路樹にたくさんの灯りが付いてた。

不景気の影響で、規模は縮小されて・・・。

でも、思いましたね。

小さいときに見た「光のページェント」が見たい。

これが見れるようになったら、仙台は神戸と同じように「復興」という道を

着実に、確実に歩んでいるんだって思える。




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